鍵の紛失とパニック症状の対応

あるとき自分の腰元で
「ドサッ」
という音が。
とっさに
「あ、何か落とした!」
ということで荷物を見てみると、鍵束がありません。
「では床を」
「???」
ありません。
「では椅子のどこかに」
表面や、椅子の取り付け部材周辺を見て、
触った限りでは
「ありません」
????どこだべ。
ここで時間が止まり、私のアタマはパニックに。
(パニック症状(パニック症候群)ですね)
・鍵なんぞなくすのは一生の不覚。死ね > 自分
・会社の机の鍵もあるんだぞ、始末書ね。
・いやいや、でもバスの中で落ちたと限らないし
(今、たまたま認知しただけで、京都へ来るまでに
 すでに落としてたかも)
・嗚呼、自分はどうしたらいいの?

運転手さんにつたえたら
「そんなの自分でさがして」
そりゃそうだ。
「でも見た限りないんだし」
うーん、
「すみません、このへんに鍵束落としたみたいです」
恥ずかしいのをこらえてバスの皆に伝う。
新設な周囲のみなさん、ちゃんと見てくれて、
私が顔を向けると、「首を横に振ってくれました」
反応してくれたのは嬉しかった。でもなかったのは悲しかった。

でも、自分を信じて
・ま、紛失だとしても
・鍵が本当にないのか、ただ見つけきってないだけの判断が必要。
・どこまで見たらあきらめようかな?
・なかったら、名古屋からの移動分全部警察に届けなきゃ。
ということで、最後の手段を
座席折り畳み(たまたま車椅子固定位置で、畳めるようになってたのだ)
してNGだったら、今日の壬生狂言をあきらめよう(きっぱり)

ということで、然るべき停留所を過ぎ、車中のお客さんがまばらに
なってから
「バタン、バタン」
たたんで確認してみる
「でも、ない....」
嗚呼、やはり警察なのね。
と諦めてたたんだ椅子を開いたら
「ボトッ」
「え?」
ということで床を見たら
鍵が見つかりました!
どうも、椅子をたたむ境目(座面と背面)の間に挟まって、かつ
挟まり場所がびみょーで、目前に見えてなかったようです。

ということで、「ひとり大相撲」は千秋楽。
気づくと滝汗。狂言の会場openまであと45分になってました。

こういうところで無駄な時間過ごしたくないね、て思うと
今回のところ、ちゃんと反省しなきゃ。

よかったトコロは、昔の自分だったらアタフタしかしなかったけど、
若干の間をおいて切り分けに取り組めたこと。
鍵がみつかったのは運だけど、仮に見つからない場合の行動も
その場で決めることができたこと。

森田療法の「感情の法則(感情の高まりは時間とともに下がる)」
を強く感じた瞬間でした。